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ピエール・カルダン

先日お店のみんなでドキュメンタリー映画を見た。

ファッションデザイナー、ピエールカルダンに密着した

 

「ライフ・イズ・カラフル」

 

 

98歳まで仕事を続けたエネルギーは

これからの超高齢化社会を生きる道標になる。

 

オートクチュール(高級仕立て服)からプレタポルテ(既製服)をはじめてつくったカルダン。

自身のブランドを立ち上げる前にはクリスチャンディオールで働き、

ニュールックをつくっていた職人でもあった。

 

だからデザインだけでなく、洋服自体の構造を誰よりも把握していたという。

 

まだ特権階級がドレスや帽子、手袋などを着て過ごすオートクチュールの時代は、

まだ身体が圧迫される服が多かった。

 

 

そんな時代に今では当たり前になっている既製服を作り、

一般の誰にでも着やすい服をつくった。

 

 

適正な価格、実用的な素材、着て、洗って、ドライクリーニングできる服。

 

 

1960年代は戦前の社会階層が崩れはじめたとき。

価値の大転換の時代。

 

 

現代の風潮にある、

波風を立てないような人生を生きるのではなく、

しっかりと自分自身の人生を生きたカルダン。

 

 

今では当たり前だけど、

洋服以外の眼鏡や小物、インテリア、様々なものをデザインし、

ブランドロゴをつくり

ファッションをライセンスビジネスにした。

100万ドルのドレスよりも、一本のネクタイが富をつくるシステム。

 

60年代に見据えていた未来はグローバルだった。

まさに想像通りになっている現代。

 

 

そんなピエールカルダンは、子供の頃から演劇が大好きで

ファッションよりも演劇への情熱が強かったと語っていた。

 

 

演劇に生きる役者達にスポットライトを当て、

演劇という文化を支え、自身も衣装や舞台をデザインすることに

生きがいを感じていた。

 

 

1900年代のアールヌーボーの美術品を集め、大切にコレクションし

ベル・エボックを象徴するマキシムも買収した。

 

アートを身近に置くことで、

新しいファッションに必要な革新性を追い求めていた。

 

 

近代に様々なものが工業化し、

システム化され新しいビジネスが出来上がった。

雇用が生まれ、物質的に豊かになった20世紀。

 

お金が集まればさらに新しいモノが新しい場所でつくられていく。

それが際限なく広がっていき現代がある。

 

 

だけど、文化面に於いても工業化と同じシステムを取り入れたことは、

自分の国や地域、業種固有の「文化」を発信できなくさせた。

 

 

工業というのは”最新式が一番良い”とされるから、

あそこのつくっているものが最新だから

それが良いもので、それをもらってくればいい。

 

 

だけど文化というのは、人が営む、国や地域、社会、固有のものだから、

工業化のそれをそのまま平行移動させても成り立たない。

 

それがわかっていたカルダンは

子供の頃大好きだった演劇と、木工から感じた手作りの温もりを

心の平静を保つ大切なものとして、

忘れずに生きていたのだと思った。

 

 

彼が最後に

 

「私は芸術家になりたい」

 

と言った姿にとても感動した。