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立ち返る場所

6月は雨の多い月。旧暦では「水無月」。
水無月の「無い」は「無い」ではなく「の」という意味で、「水の月」だという説を読んだ。

 

 

逆に、梅雨が明けて暑さで水が干上がる時節のために、
「水が無い月」だという説もあるようで・・

 

 

田植えが過ぎ、苗がすくすく育つ緑の季節。昔も今も人間には水が欠かせない

 

 

昔の人は、生活の中にある自然を大切にし、崇めてきた。

 

 

コロナになり感染症の歴史とのつながりから、クローズアップされることがあるルネッサンスは

 

人間が自然や神々との調和の中にあった「偉大なる古代」の復活を一大理念とする

技術と思想の運動だった。

 

「技術」を使う職に就く人間にとって、いつの時代にも通用する
古典や立ち返るべき視点、規範がとても大切だと思う。

 

 

今ではあまり流行らない「清貧」という美意識を日本人から感じ紹介した、
バチカン報告書には

 

 

田んぼや畑、森など
自然との向き合い方が
日本人の「精神性」をつくり、
そういった労を惜しまない姿が貧しくも美しかったと・・

 

 

 

そして、そのような自然のうつろいから
「気づき」が生まれ、科学を深め
工業製品の文化をつくったと報告したと言われる。

 

 

それはきっと「手入れ」のことだと思った。

 

 

龍ケ崎のような農家さんの多い地域は、都市では忘れられている「手入れ」がまだまだ日常にある。

 

 

ああすればこうなるというシステムの中では
生きた人間の記憶から発する
「手入れ」のような、身体性を伴ったクリエイティビティは失われる。

 

 

代わりに人工知能のアルゴリズムとディープランニングが信じられるようになる。

 

 

だからこそ、人として

人間の身体性が
垣間見れる感覚に

希望の光を見てしまう。