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私たちの追跡 Vol. 1

新古典主義✖️超主観追跡

ITOでは新古典主義というテーマを使って、歴史を紐解き、

主観的に追跡していく試みをプロジェクトの柱として活動しています

 

haircutの礎を築いたヴィダルサッスーンは

骨格の構造

幾何学

角度

ヘアカット

不均衡の形の複合体

この5つが骨格に合うようにデザインされたへカットの方法論をつくったと言われています

 

 

私たちの新古典主義✖️超主観追跡は

ヘアスタイルの方法論にインスピレーションを与えたと言われる事柄に向き合い、

超主観的に焦点を当て、追体験(追跡)していき、

 

 

歴史とのつながりを感じることで、

人が生きていくための術=生きていく力を高め、深め、広げていこうと考えています。

 

 

新古典主義は18世紀中頃~19世紀初頭、西欧で生じた美術様式に一つ

古典を制作の手本とすることは、ルネサンス以降の造形芸術にとっては基本

 

しかし、この時代において新古典主義の「新しさ」は

それまでの古典の模倣と異なり

 

17世紀のイリュージョニスティックなバロック

18世紀の華やかなる宮廷美術のロココに対する反発から生じたため、

それらを否定するような古典の手本を意図的に選択したこと

 

その時代をつくる主流社会の文化(メインカルチャー/ハイカルチャー)に対し

価値観や行動範囲が異なり、少数であっても自分たちスタンスを持ち

時には主流に反するスタンスを持つカルチャーを

カウンターカルチャー(下位文化/ローカルチャー)という

 

 

初期キリスト教が絶対とする”神を信じる”時代に、

ギリシャ人、ギリシャ美術は”自然という移りゆくもの”を

 

追求し、美の基準を発見した

そして永遠という神に対して、移りゆくものは冒涜とされ封印された

 

 

古典としての手本も、

その時代の始まりはカウンターだった

 

 

”選択”ということについて、

世界最大の資産家の一人がこんなスピーチをしている

 

「賢さは生まれついての才能ですが

優しさは自分で選ぶべき選択です。

生まれついての才能は、努力を必要としない反面

生きていく中で選択するということは、努力が必要です」

 

 

”選択”を価値として問題定義した、マルセル・デュシャンは

男性便器にサインしたものをアート作品として発表し、

現代アートの古典のように扱われている

 

 

だけど日本はさらに昔から

その精神を持っていた。

 

 

室町時代の茶人、千利休による「竹一重切花入」

 

花器の代わりに、身近に生える竹を割ってつくられた花入は、

色やかたちの美しさではなく、

コンセプトや美を表現したものとして価値がある

 

 

本質的に、時代や文化をつくるものは

極端なものから始まると思う

 

 

そして、時代における価値は、

その時代をつくる人間が選択する

 

 

人が生きるために、

優しさが必要なのか

 

優しさの中で生きる人が美しいのか

 

 

お前は どうなんだい?

 

宮本浩次が問うている

 

続く