blog

私たちの追跡  Vol.5

 

肌で感じる感覚

 

人間的な体験は、上書き保存と違い

身体にしっかりと記憶される

 

セザンヌは絵画制作を

”自分の感覚的経験を実現すること”と定義していた

と言われている

 

自然・・・自分の自然な感覚を表現すること

セザンヌにとって自然が一番難しい問題だった

 

しかし伝統的な手法の遠近法は

遠くのものは小さく描く

そして近くのものは大きくはっきりと描くことになる

 

 

 

技術的にそうした錯覚をつくり

人に幻覚を起こさせるのは自然ではない。

それは自分の自然な感覚体験の実現ではない。

 

セザンヌさんはそう考えていた。

 

 

セザンヌさんの時代において、

フランスの美術教育の伝統はレオナルド・ダビンチさんの

「絵画論」に密接に結びついていると言われる

 

レオナルドさんが定めたそういった原則は

到底受け入れることができないと言えば

とんでもないことのように聞こえるかもしれないが

 

セザンヌさんは言葉によってではなく、

作品によって実現したかった

 

 

またセザンヌさんは、古典を拒むのではなく、自身の技法実現のために学び、模写した。

特に古典主義の巨匠ニコラ・プッサンやドラクロワを尊敬し、彼らから多くを吸収した。

 

 

 

 

 

セザンヌさんはそういった 西洋美術の伝統を学びつつ

自分自身の感覚の実現のために偏見なく「観る」ことを追求し、描き続けた。

 

 

そして伝統的視覚を解き放ち

キュビズム(ピカソさん、ブラックさんなど)

フォービズム(マティスさん、ドランさん)たちを生み

その流れにコルビジェさんのピュリズムがあったのだと思う

 

 

 

遠近法に見られる伝統的な空間表現は、

制作者の視点と対象が一本の軸を起点に

安定した空間で構成され

 

 

動きのない静止した時間をつくる。

空間としての変化を排し、永遠の空間とした。

 

 

しかしその空間は”感覚として体験した空間”ではなかった。

 

 

現実の視覚体験は、変化する多様な軸に従って展開する

多様な空間体験であると考えていたセザンヌさん

 

 

例えば造形上、一つのりんごは遠近法空間においては

一つの視点から見られた、一つの対象として表象される。

 

 

しかし現実の視覚体験においては

リンゴは様々な角度から多様な視点によって

 

 

見られるのみならず、際限なく変化し、異なる空間構成をつくる。

 

 

そのように「ひとつ」とされるリンゴの姿は

空間という無限の連続性に生きている。

 

その空間表現に挑み、遣って退けたのがセザンヌさんだった。

 

 

 

セザンヌさんが年下の画家エミール・ベルナールに送った

有名な手紙の一節がある

 

「今日のところ、画家は、すべてを自分で発見しなくてはならない。

・・・・

我々は、先ず第一に、円錐、立方体、円筒、球等の

幾何学的形体を研究しなくてはならない。

 

我々はこれらの形体を以って構図、

面を形成する方法を知ったときに

初めて絵の描き方がわかったというべきであろう」

 

静止し、安定した空間表現により

一つの永遠の空間を表現したレオナルドさん

 

そして現実の感覚体験のように時間の流れを

生きる空間として表現したセザンヌさん

 

時代の価値観やバックグランド、哲学が

一人の人間の表現に関わってくる

 

セザンヌさんはこんなことも語っている

 

「物体を周囲の物から切り離して表現し

彫刻的感覚で把握することを学びなさい

立体的な物体を表現することができるようになって

始めて画を描くことができるようになる」

 

 

 

セザンヌさんの作品をはじめて見た二十歳

その魅力は、全く分からなかった

 

自分の手で価値をつくりだすという

美容という仕事についていながら

世界中で価値あるものとされているセザンヌさんの真意は

よく分からなかった・・・

 

でも分からないを追求することから

発見の鋭い喜びに

出会うようになった

 

そういう発見は

肌で感じるほどに

刻まれる

 

 

 

続く