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私たちの追跡 Vol.7

TOKYO2020オリンピックが開催されて数日。

賛否両論あるけど、やっぱりスポーツは感動する。

 

私の生まれた年はモントリオール五輪が開かれ

ルーマニアの体操選手ナディア・コマネチ史上最年少の金メダルをとり

日本の男子体操は金メダルをとった。

 

人間の持つ本質とは何かを追求し

人間にとっての美しさや真実を探求した古典、古代の人たちは

21世紀をどのように見るのだろうか・・・

 

ラファエロさんが生まれたイタリア中部

小都市ウルビーノの宮廷にはメディチ家など各国の王侯貴族の子弟や

当代一流の文人、芸術家が出入りして人文主義文化の一大拠点だった

 

 

 

 

そんな地で育ったラファエロさんは

父が宮廷画家で文人だったこともあり

幼少期からはなやかな宮廷文化にふれていたと言われる。

 

しかし8歳で母を失い、11歳で父をも失くし

はやくに自立をすることになった。

 

 

当時イタリアのペルージャで最も人気のある画家

ペルジーノさんの弟子になったのは14〜15歳

 

 

 

ペルジーノさんはレオナルド・ダヴィンチさんと並ぶ天才画家と讃えられていた。

 

ボッティチェッリさんらと共にローマのシスティーナ礼拝堂で行った

壁画装飾はペルジーノさんの名声を高めた

 

 

各都市からの注文が殺到したペルジーノさんは

作品の規格化、拡大再生産の才や

工房の統率力に優れていた

(弟子たち師匠の様式を完全に修得させた)

 

ペルジーノさんから学んだ

デザインの再利用の仕方や仕事の工程という

工房での活動(プラクティス)は

後にラファエロさん自身の工房で大いに役立つことになった。

ペルジーノさん作

 

 

ラファエロさん作

 

 

 

ラファエロさんは”都市”というところで育まれた

人間の集団を前提とした人との交際と協調

その洗練された流儀に支えられた。

 

 

都市という場所で育まれる文明という理解のもと

ビジネスとしても成功したと言われる。

 

 

 

そして常にテーマをもち

成果を吸収するためにスケッチし

変化に適応した

 

 

さまざまなヴァリエーションをつくりあげ

アンテナは多様に満ちていた・・・・

 

そしてラファエロさんは自己の潜在能力を呼び起こすため

何か強い刺激を必要とするタイプで

これは色彩表現にもあてはまると言われ

新鮮な好奇心を受ける画家から学びとった。

 

 

 

1504年頃ラファエロさんはフィレンツェで

圧倒的な存在感だった

レオナルドさんやミケランジェロさんの芸術に接した

 

30歳以上離れたレオナルドさんの素描などからは

学ぶことが多く

モナリザの制作などにも強く影響を受けたと言われる。

 

 

 

 

 

 

フィレンツェに移ったラファエロさんは聖母子や男性裸体像などを

テーマに励み

レオナルドさんの作品「聖アンナと聖母子」に

とても影響を受けた。

 

 

 

レオナルドさんがつくる構図と表情は

それまで参考にしてきた師匠のペルジーノさんとは違っていた

 

 

絵画の骨組みとなる構図は三角形で調和がつくられ

表情は優しく柔らかい。

 

そんなレオナルドさんの作品に魅了され

ラファエロさんが描いたのが

 

「ベルヴェデーレの聖母」だった。

 

 

常に自分を高めていく力として

昔は尊敬する力があった。

 

尊敬=respectの語源はラテン語のrespicere振り返って見ること

 

ラファエロさんは自分を高めてくれる

唯一無二の存在を大切にしていたのだと思う。

 

 

そして振り返って見てしまうレオナルドさんの作品

くらいまでに自分の表現を高めていきたかったのではないか・・・

 

そういった

「”尊敬”でつながる人間関係を大切にしなさい」

 

 

 

そんな言葉をラファエロさんから伝えてもらった気がする

 

 

 

 

続く