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私たちの追跡 Vol.14   振り返り編1

周辺は稲刈りの季節になり

景色や空気、香りも変化する頃。

 

「私たちの追跡」もあっと言う間に古代まで来た。

この辺りで、一度振り返るタイミングにしよう。

 

 

 

振り返り編 1

 

そもそも私たちの追跡の新古典主義×超主観追跡=超主観古典主義という大それたネーミングは

何から始まったのか?

 

伊東美容室を受け継いだ時、開店当初(1963)から働くスタッフも半分近くいた。

新たなスタートとして私もスタッフもみんなが新鮮な気持ちになる状況が大切だと思った。

 

だけどあまり気負わず背伸びをしないで

身の丈にあったことからはじめようと思いながら

スタートしたのは”美術からの視点”の美容だった。

 

 

 

美術やデザインからの視点は、

美容とつながる共通の領域(境界領域)が多くある。

 

 

30年近く前、私自身が都内の美容室で働きはじめたとき

サロンワークを見ていたら直感的に「美術を学びたい」と思った。

何かをつくるには意図があるんだと感じたことがはじまりだった。

 

 

 

始めてのお給料で、美術の本を買った。

その直感的な思いは、気がついたら楽しくてあっという間に今に至る・・・

 

そんな楽しさをいつか共有したいという思いが、

そもそもはじまりだったのだと思う。

 

”美容は楽しい”ということを謳っても、すぐに売上が上がったり

カットが上手くなるわけではないから、初期設定としてはちょっとズレていた・・

 

だけどそのズレは自分にとって自然なことだから

美容室を引き継ぎ、みんなを巻き込んで

共有の機会(共育)ができたということは有り難いことだった。

 

 

 

 

 

教育は常に重要な問題だと思う。

 

人口が増え続けるという国が”成長の時代”にあるときは主に「再現すること」を目的につくられた

教育が大きな流れをつくる大河になり

 

”一緒のことができる”という安心できる教育システムは、量産でき

偏差値の高い人は優秀とされる。

 

ズレた方向というのは、大きな流れにはならないかもしれないけど

人口減少社会で多様な価値観の時代は、

一緒のことができるという、みんな一緒、再現の美容だけではなく

一人ひとり違う、多様な表現が垣間見れる表現の美容の流れも必要になる。

 

 

そうした方向を目指すには、まずは普遍的なことや基礎を徹底して学ぶ習慣や日常が必要で

普遍的な軸を土台に、一人ひとり違う感受性を育み、多様なものの見方を

受け入れていく。

 

そういう広がりを持つことは、”自分自身の体験による実感“が大切で、

実感した時、はじめて気づき少しだけ世界が変わる。

 

自分自身で実感し、気づき、変わる。そんな学びを自然に追跡することを

「超主観的追跡」とした。

 

そして、追跡のテーマとして「ヘアカットが生まれる前の時代に戻って学び直す」

という問題提議ができ、そのタイトルが「新古典主義」になった。

それを合わせて「超主観的古典主義」と名付けた。

 

 

 

 

名付けることは大切で、存在することだから独自性や固有性(オリジナル)につながると思う。

 

美術など、ある時代ごとにある様式の名前や、技法についた名前などは独自性の証。

そう言った様々な違いが、美術の世界では共通言語で存在するから美容にも参考になる。

 

筆一本で絵本を描いたいわさきちひろさんは

輪郭線を引かず、にじみやぼかしを使った表現で

誰が見ても一目で”ちひろ”だとわかる、やさしい、美しさがある。

 

 

 

ちひろさんは日本画の技法”たらし込み”(俵屋宗達に始まるとされる琳派の没骨描法)

を使っていた。

 

そういう表現に到達するまでのプロセスは分野が違っても

共通することがたくさんある。

 

先月茨城の近代美術館でいわさきちひろ展があった。

ちひろさんが亡くなって40年以上が経つ。

絵本文化は40年で大きく変わったという。40年前は考えられなかった

絵本美術館が全国に40以上あるという。

ちひろさんが大切に描いた、子どもたちが育った証だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

そういう未来の人たちが楽しくなるような

元気になるような美容に一日一日近付きたい。

 

 

続く