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私たちの追跡 Vol.16

緊急事態が解除された。

対策に万全を尽くしつつ、少しずつライブなども再開される。

 

”NO MUSIC NOLIFE”

 

先日ネットフリックスで

hide50th  anniversary FILM「JUNK STORY」をみた。

数年前にドキュメンタリー映画になったものだから、今頃?って感じだけど・・・

 

亡くなって20年以上が経つけど

今の時代が忘れているものを思い出させてくれる。

 

hideがいた89年〜98年のおよそ10年間の音楽は、個性的で

多様なミュージシャンが出てきた時代だった。

「ビジュアル系」と言われる言葉もhideが生み出しと言われるように

視覚性と音楽性をクリエイトしたhideは、まさしく時の人だった。

 

 

 

人は10代〜20代前半くらいに聞いた音楽を生涯好んで聴くというけど

hideがメジャーデビューして活躍した期間は、

新しい時代のミュージシャン達がカオス(混沌)とハーモニー(調和)の

両方の面から、駆け抜けた時代でもあり

自分の10代〜20代を横断する時代でもあった。

 

 

古代ギリシャ人は、「宇宙は数の調和でつくられている」と考えていた。

 

宇宙の根本の調和の根本原理が「ムジカ/ラテン語」(古代ギリシャ語ではムシケー)であり

その調和が「ハルモニア」であるとされていた。

 

「ムジカ」は英語の「ミュージック」であり、

ハルモニアは「ハーモニー」。

 

 

 

古代ギリシャ人は音楽には三つの種類があると考えた。

 

一つは「宇宙の音楽」(ムジカ・ムンダーナ)

天空の調和そのもので、星々は素晴らしい音楽を奏でているはずだと考えた。

 

一つは「人間の音楽」(ムジカ・フマーナ)

人間の魂や肉体の調和を表すもので、人間の心身も「ムジカ」の

根本原理によって成り立っていると考えた。

 

一つは「器具の音楽」(ムジカ・インストゥルメンターリス)

は実際の音楽のこと。

 

 

また古代ギリシャでは学ぶことの分野として、「数」と「量」を扱っていた。

その分野は静止しているか、運動しているかで分けられ

その区分がの一つが音楽だった。

 

音楽は数の比を扱う分野で、美しい音楽は調和のとれた比によって成り立っているとされ、

それこそが美の原点と考えられていた。

 

 

もっともよく協和する二つの高さの音は、「1対2の関係によりつくられている」というように

常に音は数として考えられ、また美しい音楽を表すとも考えられていた。

 

 

 

 

 

想像力を大切にしていたアインシュタインは

「私にとって死ぬということは、モーツァルトが聴けなくなることだ」

と言ったくらいの音楽好きだった。

 

 

 

何かを創造するには常に新しいやり方を模索し続けることが必要で、

音楽はそのパワーになる。

 

自分にあった音楽や音に出会う瞬間は非常な喜びになると思う。

 

インドの高名な音楽家ハズラト・イナーヤト・ハーンは

 

 

 

「音楽とは「最愛なるもの」を具現したものにほかならないという。

そして私たちは生命の第一の表現として

目に見える美の中に「運動」見ていると語っています。

 

その運動、動きが線や色彩、季節の移り変わり

風や嵐、自然の美しさであり

その生きた表現には全てに「音楽」が現れている。」

 

そう語っています。

 

 

その喜びに出会わせてくれる一つの表現が音の調和比。

 

絵画や彫刻、ヘアデザインなど視覚的な表現には

色調、リズム、グラデーション、ウエイト、バランス・・・といった、

多くの要素があります。

 

 

 

耳に聞こえない視覚表現でも、全体を心地よいリズムでまとめたハーモニーのある

表現は人に何かしらの響きを与えてくれます。

 

 

その心地よい響きは、同じ気持ちを持った人や事物に共鳴して、関係性が

連続していくのだと思う。

 

 

続く。