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私たちの追跡 Vol.24
あっという間に11月も残り1週間をきり、いよいよ師走・・・
12月のドタバタが始まる前に、2021年の”私たちの追跡”を再確認する回。
コロナ禍であらためて思ったことは
先に進むためには、振り返ることが必要だと強く実感できる時間を持つこと・・
テクノロジーと同じように造形技術もそれ以前に起きたことを土台に構築され、同時代に起きていることの影響を受けている・・・
歴史というと大げさかもしれねいけど、つながりや時代の連続性、関係性で見ていくと自分の技術との向き合い方が広がってくる・・・・
20世紀という100年の幸福の理想像は
西欧の、都会の、豪邸で、優雅に、安全に、上品な、ふくよかな、大人の、若い、女性・・・
五十嵐邦夫氏の「美意識の芽」にはこんな風に書かれている・・・・・
理想像をたっぷりと装飾的にまとった雰囲気は、クラシックという20世紀ファッションのイメージワードとなり、19世紀以前から引き続いている、ドレスアップしたファッションは喜びの代表格として今でも特別な日を飾っている・・そして20世紀の最も大きな特徴として「カジュアル」という考えが浸透したこと・・
クラシックの時代は、世界中が発展途上みたいなものだから、一部の階層だけが高価なオシャレという贅沢に明け暮れていた・・工業と化学の進歩で量産と素材開発が進み、オシャレが大衆化したのが、20世紀の価値。
それがモダンだった・・ヘアカットもその一つだった・・そしてモダン最盛期の60年代~70年代にかけて、ヒッピーやパンクという突飛な現象が起こり、
男女が同じヘアや服装をするという、性差に対する大きな流れができ、ポストモダンが騒がれるようになった・・境界線が曖昧になり、ボーダーレス現象が女性の社会進出のステップになった・・こうした総合作用が生活スタイルの多様化を生みファッションに限らずカジュアルをベースにしながら、ドレスアップ、ドレスダウンの2つの方向が楽しめるようになった。女性(男性)らしいという価値観はありながらも、自己表現に制約も制限もない。「らしさ」をどの程度にしようか自由に判断できる・・・それが多様化、高齢化社会のメリットだ・・・
と五十嵐さんの生前にワークショップでトレーニングを受けた・・・・・
この「~化」という時代1990年代頃は・・・・情報化・・高齢化・・・多様化・・・まだまだ20世紀の価値が強く残りながら、変わっていく最中・・・・そんな時代に始めた美容・・
そして21世紀も20年以上が過ぎ、「~化」はなくなり、私たちはオンライン、オフラインの区別のない日常を過ごしている・・情報社会、高齢社会、多様性・・・循環型・・持続可能性・・・
20世紀の価値観や21世紀の初頭などの記憶を持たない世代が育ち、多様な価値観を必要とし、自然に対する態度を改めることは世界中で必須となっている・・・・・VUCAと言われるような変動性、不確実性、複雑性、曖昧性は社会経済環境が予測困難な状況に直面している時代認識を表しているという・・・・・
いつの時代でも社会や環境は予測できることばかりが起こるわけではないと思う・・・
もしかしたら20世紀という時代は、経済成長という力で全てが予測可能だと信じた時代なのではないか?
そういう考え方からすべてが「ああすれば、こうなる」ということを信じて疑えない時代だった?と20年以上たった今だから感じてしまう・・・
どんな時代も、次の世代は前の時代の影響を受けながら、独自の時代を生きるために新しい何かをつくり、目覚めていく・・・・・
その目覚めが、ある種の時代の偏りになって、一つの文化や様式をつくるエネルギー源になるのだと思う。
そういった流れを、数十年という短い単位ではなく、数百年、数千年という世界から見るということを教えてくれるのが、古代や古典、その時代を生きた巨匠たち。
過去をゼロにするのではなく、明らかにされている過去の伝統の上に新しく積み重ねていくこと・・
初期の古代ギリシャはエジプト文明の影響を受けた形をしている。直立に立つ様は動きがなく、不自然な感じがする・・・
そこから時が経ち古代ギリシャ独自のカタチが見えはじめ、筋肉をリアルに表現した彫刻がではじめ
足に自然な動きが見られる立ち姿になっていった・・・
そして口元・・
アルカイックスマイル、コントラポスト・・・・・
いかにして彫刻に生命が宿っている感じを表現するかを考えた結果、生み出された技法と言われている・・
古代ギリシャは、前900年頃から前300年頃までの約600年間、常に一貫した造形課題を追求し、
時々の条件の下でその課題を克服していった一連の成果が連続性と継承性をもつがゆえに、
一つの歴史として捉えることができる美術、それがギリシャ美術だといわれている・・
一貫した造形課題とは、空間をいかに表現するかということであり、
世界観を形態によっていかに表現するかということだった。
ギリシャ人にとって世界とは認識可能な、文明の存在する世界であり、それを彼らはオイクネメと称した・・・・
その世界は理念による認識と経験的認識が一致した総体であり、神と人間と英雄によって構成された秩序ある宇宙、
つまりコスモスだった。
建築、彫刻、絵画は、この宇宙を内に含むミクロコスモスだったという。
ミクロコスモスを構成する基本的要素は神の姿、つまり人間の形だった・・・
それらの関係に秩序を与えることが空間表現。
そうした信念の宿った時間は、
千年以上の時を超えても、私たちが立ち返る拠り所になって存在する・・
なんとなく、伊勢神宮の存在を思い出した・・
その時代ごと、地域、国ごとの理想とする姿は、夢の架け橋をつくる。
今年、古典を通じてヘアカットの生まれる前の時代に戻って造形技術、理論、哲学を主観的に吸収していく
超主観古典主義で実感できたことは、
その時代や人の夢から何を学ぶか・・・・? ということ。
自分の使っている技術のルーツを知ることは、夢を広げることにつながる。
それが自分自身の美容にとって、どんなに大事かを理解し、忘れつつあるものを再生していく。
21世紀も二十歳(はたち)と1年がすぎる時・・・・・
そろそろ自立した学び方で、前に進みたい。
そんな2021年だった。
続く
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