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私たちの追跡 Vol.37
卒業式シーズン・・・
3月のこの時期は、生徒を贈るために地元の学校の先生が、早朝の仕度に来られる。
卒業式を支えている裏方業務は、自分が学生だった頃には気にもとめなかったこと。
美容師になった今では1年の年中行事になっている・・
裏方、表方両方があって、気持ちよい時間がつくられていく。
学生から社会人になり、贈られる側から贈る側になった時に
今度は自分が裏方としての卒業式を感じるようになる。
自分の置かれた環境や価値観を外からの目で見たり、知ったりすることは広がりをもたらす・・
美容室でのサロンワークには、こう言った卒業式のような年中行事の「非日常」と
普段の生活の「日常」の日がある・・
この非日常と日常は「ハレとケ」と呼ばれ、日本の伝統的な世界観の一つになっている。
柳田國男は、かつての日本人の生活にはハレとケの二つの時期があって、
両者ははっきりと区別さ れていた、と主張した。
「ハレ」とは、神社の祭礼や寺院の法会、正月・節句・お盆といった年中行事、
初宮参り・七五三・冠婚葬祭といった人生儀礼など、
非日常的な行事が行われる時間や空間を指した。
一 方、ハレ以外の日常生活が「ケ」であるとした。
また柳田さんは、このハレとケの循環の中に稲作を基礎とする民族生活があったこと、
近代化と 共にその両者の区別が曖昧になってきていることを指摘した。
食事の変化は特にわかりやすく、ハレの日にいただいていたお酒や魚や肉は日常化し、
服装も色鮮やかになるなど、ハレは日常化した。
これが近代化、都市化、西洋化なのだと改めて思う・・・・
だから私たちの過ごしてきた時間は、日本の伝統的な世界観が曖昧になり、近代化、都市化、西洋化
がミックスされたものが、土台となっていた・・・・・・
このミックスされた土台を秩序づけていたものが「関係性の調和」だったのだと思う。
松岡正剛の「17歳のための世界と日本の見方」では
その「関係の発見」に最初に気がついたアーティストが
「イサム・ノグチ」
なのだと冒頭から書かれている・・
「・・・・当時、世界の彫刻家たちは「ひと」や「もの」をあらわしていたんです。
セザンヌもピカソもそうですね。
ロダンなどの彫刻家もそうでした。しかしイサム・ノグチは「ひと」や「もの」の”あいだ”に注目した。
”あいだ”というのは「関係」です。
人間の芸術にとって一番大事なことは「関係」だということに気がついたのです。
そこで、イサム・ノグチは東洋と西洋の”あいだ”、精神と物質の”あいだ”、そういう関係を表現しようとしました・・」
この本は2006年に書かれたもので、その背景は、大学でのゼミが一つのきっかけになったという・・・
学生たちにブッダのことや帯のことや三味線のことを聞いてみると、みんな何も知らない・・・
当時みんなが好きなのは「プリクラ」「お笑い」「トレンディドラマ」・・・・
いつの間にかみんなが「世界と日本の相互関係の歴史」を見なくなった。
そんな大きな問題が背景にあったと書かれていた・・・
今まさに、その相互関係をつくる秩序が危機にある時代になってしまった・・
イサム・ノグチのような人は時代を大きな時間軸や空間軸という”あいだ”で捉え
何が大切なのかを表現していたのだと思う。
それは、イサム・ノグチが日本でもアメリカでも少年時代にいじめられ、
それを乗り越えて、日本でもアメリカでも最高のアーティストとして
評価されたからこそ感じたことだったのかもしれない・・・
これからどうしてけばいいのか・・・・
できることは美容という部分から
新しい関係性を発見していくこと・・・
追跡していきたい
続く