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私たちの追跡 Vol.41
今日は入学式も多く、爽やかな気持ちになる時期。
新しい出会いをスタートさせる時。
そんな今日4月7日は世界保健デーでした。
WHIOの設定を記念して定められたようで、
1951年の日本人の平均寿命は男性六十・八歳、、女性は六四・九歳でした。
2021年のWHOの統計では、男女平均で八五歳で、世界一・・・・・
先日、長寿大国の日本を面白い視点で捉えたフランスのイラストレーター・イザベル・ボワノさんの
「おとしより~パリジェンヌが旅した懐かしい日本」を読んでいたらこんなことが書かれていた・・
・・・「お年寄り」は日本の社会にはなくてはならない存在だ・・・
もちろん、高齢者が人口の30%を占めているという数学的な理由もあるけど、それだけではない。
よい面も悪い面も、世間的な偏見を抜きにして彼らの暮らしぶりを見ていると、日本は世代間の線引きがより
曖昧で、80代のお年寄りの姿がどんな場所にもなじんでいる気がする・・・
そんなお年寄りたちのそばにいると、うれしさと憂鬱と、安らぎが入り混じったような気持ちになる。
未知の世界を探求するのが好きな私にとって、「老い」もまさに、そのうちのひとつだ。
少なくとも、まだしばらくの間は・・・・
著者が自分と同年代ということもあったけど、そのイラストに愛嬌があり親しみを感じた。
イラストを見て、パーマと眼鏡をかけた感じがあのお客様っぽいとか
カートを引いている姿が~さんっぽいとか・・
誰でもどこかで見かけたことがあるような、そんなイメージが自然と出てくるイラスト・・・
古典主義のように、歴史的な絵画や美術を参考にすることも学び方の一つだけど・・
イラストや落書きを描くような、日常の時を貯める時間が余白となって滲み出てくる。
そうした日常のくらしという余白の上に、仕事やさまざまな社会的時間がある。
そう思うと”余白”の味わい方も変わってくる気がする・・
日本の料理研究家の土井善晴さんは著書「くらしのための料理学」で
西洋の「進化」と和食の「深化」ということを語っている。
”フランス(リヨン)のシェフたちに向けた講演会で
日本語の「混ぜる」と「和える」の違いを話したことがありました。
彼らに「和える」をハーモニー(harmonie)と訳すと、違いをよく理解してくれた・・・
西洋料理では、液体、粉類、卵などを「混ぜる」ことで、まったく違うものを作り出そうとします。
混ぜる文化を持つ西洋料理は、化学的です。
化学であれば、数値化できるから、レシピ化できます。
液体や粉類から、形あるものを作り出す、ケーキやパン・・・
これが西洋における「進化」です。
一方で、和食の特徴は「和える」ことです。
和食における原初的な調理法は、自然を中心とするため、食材にあまり手を加えません。
しかも、食材の状態は、季節、鮮度などによって変化します。
季節、鮮度などは前提条件を揃えることができませんから、レシピは参考程度にしかなりません。
和食において、おおよそでよしとできるのは、和食が変化そのものを楽しむからです。
和食は、化学のように厳密ではなく、常にブレることを前提にしてるからです。
フランスの伝統的な料理もまた同様です。
また、和食は化学に頼らず、あらゆる複雑さに対応できる、
人間の感覚所与という万能のセンサーを信頼するものです。
私たちはそのセンサーによって変化に気づいて調理をします。
そういう意味でも、和食の調理は、感覚所与を磨く機会(エクササイズ)です。
まったく同じものができたのでは、和食の面白みを失います。
違いに気づき、違いを見つけることで感性が磨かれます。
違いに気づくことは、小さくとも発見ですので、うれしい・・
これが日本における人間創造の「深化」です。””
土井さんがいう和食の視点には、忘れかけている日本的な面白みがある。
なんでも数学的で科学的な裏付けを重要視する西洋的な考え方も一方で必要だけども、
もう一方で変化そのものを楽しむ日本的な感性をしっかりと磨いていきたい。
そのためには、お年寄りが隠し持っている人生の深化に気づく感性が必要だ。
塩梅、和える、余白・・・イラストや料理・・
そういったつくることに共通するハーモニーをイメージして過ごしていきたい。
続く