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私たちの追跡2 vol.8

ワールドカップカタール大会。

 

世界相手に戦う日本選手の姿に感動した最高な瞬間。

 

まだ足りない…

 

クロアチア戦終了後、元日本代表の岡田監督が言った言葉が

自分毎に響いた瞬間

 

新しい時代がスタートした。

 

 

今回の代表選手達は、海外選手に対してリスペクトし過ぎないで、対等だった。

 

一昔前なら、海外組などという言葉があったくらい海を渡ることや

海外に対して少し距離があった。

 

だけど今の世代は全く違う。

世界との境界線は広がった。

 

夢の持ち方も、「プロのサッカー選手になる」というプロへの憧れの時代から

「自分がワールドカップに日本を連れていく、そのためにオレが点を決める」

と言う具体的な目標を掲げて、それに対しての行動を、ひとつひとつクリアにしている。

 

そういう世代の人達が集まって、今回のワールドカップの感動を届けてくれた。

そして、目標のベスト8は敵わなかった。

 

 

だからこそ、そこに未来の可能性を感じることができた。

それはサッカーだけでなく、日本の国や個人が考える課題でもあると感じた。

 

 

ワールドカップ開催前に現日本サッカー協会理事、元日本代表の宮本恒靖氏は

世界のトップに入るための要因のひとつとして、ブラジルの話しを例に話していた。

 

 

「ブラジル人はサッカーが文化ではないのですよ…

ブラジル人にとってサッカーは宗教なのです。

だからこそブラジルのサッカー選手は国や個人の代表で、生きる支えになっている…」

 

 

この話しを聞いた時、何が違うのか、はっとさせられることがあった。

 

人生にとって大切なこと、

無くてはならないこと、

信じたいこと、

願いやおもい。

祈り。

生きる喜び…

 

生きるために魂を勇気づけてくれる存在。

ブラジルや世界トップのサッカー大国はサッカーがそういう存在なのだと思った。

 

誰にでもある身近な存在であり心を勇気づける存在。

心の存在を考えるとき、稲盛和夫氏の仏教から学んだ哲学を思い出す・・・・

 

 

人間の心には5つの円の相があり、最も奥に真我という絶対変わらない心の核があるという。

 

心5つの円には、1番外側に知性、2番目に感性、3番目に本能、4番目に魂、

そして5番目の一番中核に真我と言われる真善美があるという。

 

心を磨くには、まずは存在を知ること、そこから知性が生じる。

知ったことを体験や経験を通じて感覚し感じること。

 

 

そして人間なら誰もが持つ本能。その本能によって強い気持ちが生まれるが、

その本能を丸出しにしないために魂を磨き本能心を抑制しコントロールする。

 

 

魂は、さまざまな苦難や、自分にはどうにもならない災難や業によって磨かれるという。

 

 

そして、それを乗り越えた先に、絶対的な心

真我、真善美にたどり着くという。

 

 

真は嘘のない、誠の世界。

善は愛情のある、愛の世界。

美は調和の保たれた、美の世界。

 

 

大国にあるサッカーは宗教のように生きる支えとなる存在。

サッカーが魂と真我の相の境界にあるように思える。

 

 

そう考えると、岡田監督が言った、

まだ足りない…

 

という一言がいろんなところに響いてくる。

 

 

心のずっと奥の方にある生きる情熱。

 

そういう存在を投影できるものは

人生を支える。

 

誰かにとってそれは家族であり

誰かにとってそれはサッカーであり

そうした物事や人との出会いが人生を好転させる。

 

自分の心から感じたことや信じるものは、ある意味では全て宗教なのだと思う。

 

愛するもの、信じるもの、勇気を与えてくれるもの。

 

心の真善美を、どう考えるかで

美容の世界も大きく変わってくる。

 

相手によってリアクションを変える、リアクションサッカーでは世界ベストう8には入れない。

美容も同じように、いつも何かの真似ばかりではベスト16止まり。

 

これを突破するには、独自の方法を研ぎ澄ましていくこと。

好きなことや夢中になれること、他にはないことを面白がり磨き続けること。

 

そうした人のおもいがつながり、悲願、念願になる。

長い間一心に願っていることは、いつしか信念になり支えになる。

 

 

生きる情熱に目覚めさせ、

新しい時代の人生の扉を与えてくれた

サッカー選手達に心からの拍手を贈りたい。

 

 

ブラボー