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私たちの追跡2 Vol.9

2022年

今年のテーマは

「気持ちを伝える表現…」

 

 

社会はあらゆるシステムでできていると思う。

システムは組織として、ひとつひとつがつながり

意味を持ち、再現可能、持続可能性を保つことで環境の安定性をうながす。

 

そのシステムの中でつくられるる価値を判断基準におくことで社会的安心感を与える・・・・

 

人間に必要な社会性はそういう環境や教育によって育まれていく。

 

だけど、こうした安心の社会が成熟していく度に、不確実な要素は外に追いやられ

不確実な要素を受け入れるという人間信頼は少なくなっていくように思う・・・

 

不確実なこととは、なるべく対峙せず、固定された安心に身を寄せる。

 

だからそうした社会性といつも矛盾するものが”自己意識”となり個人をつくる・・

 

自己意識は愛によって育ち、個人の持つ固有な感情・・・心の純粋性と関係しているのだと思う。

 

社会性と純粋性の矛盾から生じる違和感を和らげてくれるのが

感動することであり、その感動は表現との出会いもある。

 

 

表現との出会いは、精神のバランスを調和してくれる。

 

 

そうした表現の種を探すことが、私たちの追跡の大切にしていること。

 

 

今年2022年の種はこの一冊との出会いからはじまりました。

 

 

写真家、細江英公の球体二元論…

 

細江英公さんは20世紀を代表する日本の写真家でありアーティスト・・・

多くの著名人を撮りつつ、実験的で前衛的な表現を追求していた。

 

 

細江英公さんは著書「球体二元論」のなかで、技術と表現についてこんなことを語っていた・・・

 

「私の 「写真表現と技術」についての基本理念は,「表現 と技術 は表裏一体 であ る」 とい うこと・・・

 ただ し表現 と技術の関係は,あ くまでも「表現が主で技術が従」で なければならないということです・・・・・・」

 

 

細江英公さんは、繁栄した20世紀の一番の罪として「核兵器・原子力」をあげ

20世紀の虚無感を表現した「ルナ・ロッサ」で、

20世紀の忌まわしい核の放射能に汚染されたケロイドの肉体から

穢れなき純粋無垢な21世紀の小さな命におくる(希望という名の果実)に

20世紀からの夢を託した。

 

ルナ・ロッサ

 

表現が主で、技術が従・・・

 

 

今年はじめはまだ、技術からみる世界という思いが強かった。

身につけた技術がないと表現できないと・・・・

 

だけど今、年の瀬になりこだわらないようになったいた。

 

 

先に人や物事があって、それに対してどう感じ、それを表すことが大切。

 

感じる視野を広げたり、奥行きある感覚を持つには技術が先ではなく

心の奥にある表現の種が大事・・・

 

 

そうした心の奥にある種から純粋な表現が生まれてくる・・・・

 

 

表に現れた世界を注意深く観察して、心の隙から溢れ出る純粋性という光を探す。

 

 

そんな時間を今年は過ごしたことが

私たちの追跡の収穫だったのだと思う。

 

 

道はいくつもある。

一つの道に執着するとムリがでる。。。

ムリを通そうとするて行き止まる。

 

動かない山を動かそうとするから…

そんな時は、山はそのままに身軽に自分の身体を

動かせば、新たな道がひらけてくる。

 

冒頭の写真はフェルメールの「デルフトの眺望」・・・

 

この作品の4年後、有名な真珠の耳飾りの少女を描いた。

 

風景画を描くように一度自分の視野を広げることで見えてくるものがある・・

 

 

 

そんなことに気がつけた2022

 

 

今年も1年ありがとうございました。

 

 

 

MASARU  SASHIDA